『佐伯一麦 夜の文学散歩 第三夜』
2010年10月3日(日) book cafe 火星の庭 にて



 10月3日(日)におこなわれた読書会のレポートです。

 この日で第三回となる「佐伯一麦 夜の文学散歩」の課題図書は、
魯迅作「孔乙己」「藤野先生」「故郷」でした。魯迅を選んだのは、
「教科書などで慣れ親しんでいる作品を読み直す」こと、「仙台にゆか
りのある作家である」こと、「近頃の日中間の関心の高さ」などが理由
と佐伯さんが説明しました。

 参加者は今までで一番多い18名。15名定員なのですが……。
うれしいことに東京から荻原魚雷さんが参加してくれました。7月に出版
された『活字と自活』(本の雑誌社)が好評。当店でも30冊近く売れて
います。その『活字と自活』を読まれた佐伯さんがたいへん感心されて
「ぜひ再会したい」というお誘いもあり実現しました。
   

 まずは乾杯。ここの読書会はお酒、料理が豊富なことも自慢です。私
も名ばかりの司会進行でぐびぐび飲んでいます。かるく参加者同士挨拶
をして、佐伯さんが皆さんに質問。「尖閣諸島についてどう思いますか」。
げ、いきなりですかぁ〜。という空気。
 でも皆さんさすがというか、きちんと報道をふまえて感じていることを
話します。とくに現代史に関心が高いMさんは「戦争責任を果たしてない
こと、アジアの近現代史の無知からくる日本人の無理解さ」。中国旅行を
何度もされているHさんの旅先での中国での実感などが、リアリティーが
あり興味深かった。「どっちが正しいと言うより、国と国の権力争いだか
ら、より力がある方が優位に動くようになる」とは魚雷さん。こちらの意
見にも納得。
 
 「中国と言った時、イメージで語ってはいけない。イメージというのは
危ういし、イメージ通りという人はいない。具体的に一人一人の人間と出
会うこと」「魯迅は中国の民衆をイメージで語らなかった。一人を徹底的
に見つめ描いた。民衆という人はいないから」「一人の人を描ききったそ
の先にはじめて普遍的なものが立ち上がる。それには文学が一番適してい
る」と佐伯さんが語ります。
 言い回しなど正確ではないかもしれませんが、魯迅という広大な世界の
入り口に立つ心構えを諭されたような気持ちになりました。

 さぁ魯迅の世界に出発。まず訪れたのは「孔乙己」。岩波文庫でわず
か七ページの作品です。 
 書き出しは詳細な酒場の描写で始まります。作品の舞台が読む者の頭
のなかに序々に組まれていきます。9行目になり、語り手である酒場で
働く小僧がはじめて登場します。
 「この冒頭が見事」と佐伯さん。「短い作品だから瞬時に読者を作品
世界に連れて行かなければならない。まるで映像を見ているような鮮や
かさですっと入っていける」
 物語は12歳の小僧の視点で描かれます。まだ世の中のからくりを熟知
していない素直な眼、だからこそ曇りのない語りは隅々まで等質に見透
かす冷たさを帯びている。題名に掲げられた孔乙己は常連客で、この店
の笑い者だ。学問をした人だが、試験に落ち続け乞食同然に落ちぶれて
しまった。同じ立ち飲みの客達から盗みを犯したと囃され、外で遊ぶ子
供達にもからかわれる。それでもせっせと酒場へ足を運ぶのだ。
 「酒飲みには身につまされる話です」と苦笑する佐伯さん。同じく苦
笑するのは酒飲み達。私も然り。ほんと、お酒好きには一層胸に沁む話
なのです。

 孔乙己がぴたりとお店に来なくなる。噂ではまた盗みを働いて、罰と
して足を折られたらしいと知らされる。読んでいる方は、人々の酒の席
でのネタとして孔乙己の近況が語られることでなおさら悲惨さを感じる。
 「噂話という設定がかえってリアリティーを増している」と佐伯さん。
私達の日常にも蔓延している噂話。それを鵜呑みにするときの感覚がよ
みがえって納得させられる。自分のことを本人が言うよりも、誰かが言
った私のことの方が信じられやすいのだな、と常々感じている。
 
 「もしこの小説が現代書かれたとしたら、孔乙己の視点から書いてし
まう。そうなると100枚以上の作品になってしまう」「この短編は小僧
の視点で書かれたからこそこの短さで成立した」などなど、実作者なら
ではの解説が続きました。
 魯迅の作品全般に言えることですが、作者の感情を排し、ひたすら具
体的に描写することで、逆に読むものの感情を呼び起こし、描かれてい
ないものを想起させる。すらっと読める作品でありながら、至る所に落
とし穴のような仕掛けがある作品なのでした。
 それにしても酒飲みには忘れられない作品です(笑)。たまに読むと
いいよ、と自分に言い聞かせる。

 次は「藤野先生」。魯迅が仙台に留学していたときの話なので、参加
者から活発な発言が出ました。中国では中学の教科書に載っていて、東
北大学に留学する中国人のほとんどが藤野先生を読んだことがきっかけ
で仙台への留学を決めるということ。藤野先生はその後郷里の福井に戻
り、開業医となりお金のない人からは診療費をとらないなど、「藤野先
生」に描かれたそのままの人だったらしい。など話題になりました。
 「魯迅の藤野先生に対する最初の感情は、<不安と感激>と表現され
ています。普通、不安と感激というのは並列されないけれど、こうした
矛盾した感情というのは確かにあります。」
 ほんとだ。師として大きな懐で見守る藤野先生に対して、戸惑いなが
らも深い愛情に打ち震える青年が見える。
 この後有名な中国人の銃殺シーンを観る<幻灯事件>が起きる。そし
て医学の道から文学へとその後の道を転換する契機が訪れる。「ここは
少し作り話的な部分が否めない」と佐伯さん。「ただ事実じゃないから
嘘、ということではなく、魯迅が言いたかった真実がある。例えば…」
 皆がじっと聞く。「冒頭に日暮里駅に着いたとありますが、実は魯迅
が東京から仙台へ来た頃、まだ日暮里という駅はなかったんだよね。」
へぇ〜と皆。「魯迅が東京から仙台へ行くときの心境。これが日暮里と
いう言葉に象徴されている。そういったどこか辺境へ行くような裏寂し
い心地だった。」
 「不安と感激」という相反する感情を抱えた魯迅の青年時代そのもの
を映す作品が「藤野先生」ということなのかもしれません。そしてやっ
ぱり、魯迅にとって忘れられない日本人がいたことがうれしいのでした。
仙台の人にとってはとくに特別な作品ですね。

 おおっと、時間が経つのが早い。予定時間が過ぎてしまいました。
「それでは「故郷」についてはこれを観てもらいましょう」と、佐伯さ
んが席を立ちスクリーンとプロジェクターをセットし始める。佐伯さん
は中国を幾度か訪れていて、魯迅の生地紹興、北京、終焉の地である上
海の写真を持ってきてくださり大きな画面で見せてくれた。

 このことは事前に聞いておらず、うれしいサプライズでした。皆さん
も作品で読んでいた場所が目の前に現れて興奮した様子。佐伯さんの生
ガイドつきなんてほんとうに贅沢。故郷の紹興では、巨大な魯迅の肖像
写真が掲げられ花で充たされ人でいっぱい。孤独な魯迅の姿を追いかけ
ていたような時間だったので、中国の人達に慕われ、敬われている現在
の魯迅を見て暖かい気持ちになる。でも最後の家となった上海の住居は
まだ生々しく、「実は死因には諸説ある」という佐伯さんの言葉にちく
っと胸が詰まる。

 いったん本日の文学散歩本編は終了となったものの余韻収まらず、魯
迅の家の前(の写真)で呆然とする自分。知れば知るほど謎が多くなる
人だ魯迅という人は、と思う。魯迅のお母さんはどんな人?家族写真で
写っているきれいな若い女の人は奥さんかな。兄弟は弟がいたはず。文
筆では小説のほかに翻訳、評論も多かった。木版画の技量も素晴らしく、
画家としての才能もあった。などなど、佐伯さんへの質問が止まらない。
佐伯さんも快く答えてくださり、夜も更け深夜に及ぶまで魯迅からさら
に文学のあちこちへと話が弾みました。
 
 今回も刺激的で深い読書を体験させていただけました。佐伯一麦さん
のおかげです。あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

 なんとうれしいことに、次回の予定が早々と決まりそうです。という
のも、長らく絶版で入手難だったある作品がこの度復刻され、佐伯さん
が読書会に推薦したい作品だったことですぐ決定しました。詳細につい
ては、今までと形を変えて行うかもしれず、ただ今調整中です。決まり
次第こちらで告知いたします。どうぞお楽しみに!



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