『夏葉社の本にまつわる出来事』


 夏葉社の島田潤一郎さんから『関口良雄さんを憶う』が送ら
れてきたのは昨年の3月11日、配達時刻は14時頃だった。私が
注文したのか、島田さんからの贈り物だったのか、思い出そう
としても記憶がなくなってしまっている。だけど、神社の境内
のベンチに腰かけている関口さんの横顔の写真と、筆文字の表
紙タイトルを見て心が弾んだのは覚えている。境内には、梅だ
ろうか、神社の屋根まである細い枝に満開の花がひしめき合っ
て、風にふるえているようだった。関口さんは薄手のセーター
を着ていて、季節は今頃と同じ3月の初めぐらいだろうと思っ
た。
 封筒には2冊入っていた。同封の手紙を読むと「一冊を佐伯
一麦さんにお渡しください」と書いてある。以前夏葉社から関
口良雄の『昔日の客』が復刻されたとき、佐伯さんもきっとお
好きだろうと本をお送りしたところ、長年この本の存在は知り
ながら入手が叶わなかったので読めてうれしく思います。とお
返事をいただいた。
 しばらく後に、地元新聞の連載エッセイに添えられた佐伯さ
んの蔵書棚を写した写真(ご自身で撮られたもの)のなかに
『昔日の客』があり、なんだかうれしくなって、島田さんにお
伝えすると、島田さんも飛び上がるほど(メールだったので見
えないけど)喜ばれて、実は佐伯一麦さんの小説のファンで一
時期は精神的な支えにまでなっていた。と感激の返事をいただ
いた。『関口良雄さんを憶う』のプレゼントはそんな島田さん
の喜びのお礼なのだと思った。
 『関口良雄さんを憶う』の目次を開くと、佐伯さんの口から
幾度となくこぼれた小説家の名前が並んでいる。この本もきっ
と喜んでくれるだろうな、と思いながらパソコンの脇にいった
ん置き仕事を再開した。 その後、10分か、20分か、長い時間
ではない後に3.11の大震災が起きた。『関口良雄さんを憶う』
が入った茶封筒もぐわんぐわん揺れて、たくさんのものととも
に床に崩れ落ちた。

 佐伯さんと美穂さんご夫妻の無事は、佐伯さんが講師をつと
める文学講座に参加している友人を通して知った。大震災の夜
がちょうど講座の日だったため、佐伯さんが受講生にメールを
送って中止を告げたのだ。仙台市郊外の温泉にいるらしいこと
も伝え聞いた。それではとひとまず安心していた。

 大震災の3日後、美穂さんから電話があった。たぶん開通後
はじめての通話だったと思う。3日間電話を使わないだけで、
受話器を持つ違和感と興奮を感じた。なるべく冷静に、感情的
になるまいと思いつつ、あの日から今日までのこと、共通の友
人の無事がまだわからないことなど、お互い矢継ぎ早に話し終
えると、美穂さんが遠慮がちに明日家まで車で来てもらえない
かとおっしゃる。自宅に滞在中のイギリスの友人夫妻が帰国す
るため仙台駅まで送りたい。けれども、公共交通機関はすべて
停止、タクシーを呼ぶにも電話はつながらない。……美穂さん
もゆっくり丁寧に話そうとしているのが伝わってきた。そうし
ないと壊れてしまうものがあるかのようだった。

 イギリスの友人夫妻の奥様はリズ・クレイという著名なフェ
ルト作家で、日本の数ヶ所で個展をひらくために来日中だった。
同じくフェルト作家である美穂さんはロンドンのクラフトフェ
アでリズさんと知り合い、おつき合いを重ね、来日へと尽力し
仙台での個展をサポートされていた。オープニングでは私もリ
ズさんの作品とご本人にお会いできた。フェルトの認識を覆す
繊細で優雅な作品にため息をつき、大らかな明るいお人柄にた
いへん魅力を感じた。

 去年の手帳をめくるとオープニングは……大震災の2日前だ。
知らない土地で初めて地震を経験し、ライフラインが寸断され
た極限に近いところにいる外国の友人を、一刻も早く安全なと
ころへ送らなければという気持ちだったと思う。佐伯さんのご
自宅は急坂を登った先の小高い山のてっぺんにあり、仙台駅か
ら十km近くある。車を持たない佐伯さんご夫妻は、容量だけは
ある車に古本を積んで遊びに来る私を思い出してくれたのだろ
う。行きます、行きますと即答した。電話を切った後、崩れた
書類と本のなかから『関口良雄さんを憶う』を見つけ出し、忘
れないようにと鞄に入れた。

 翌日、佐伯さんの自宅前へ行くとすでに四人が道路へ出てお
待ちだった。感激の対面なのだが、実際はそれどころでなく、
挨拶もそこそこに早く出発しないとという緊張があった。約束
の時間を10分過ぎていた。路面があちこち陥没していて、ガソ
リンスタンドに並ぶ車が延々と一車線を塞ぎ、大渋滞が起きて
いた。街なかの移動でさえこの状態。この時仙台からイギリス
へ渡ることは至難だった。仙台空港は津波で流され、JR線は全
て不通。高速道路も封鎖。仙台、東京間の高速バスはなく、車
で移動したくてもガソリンがない。となりの県に行くことすら
絶望的。唯一、山形と新潟行きのバスがわずかに走っていたが、
乗るためには雪が舞う寒空の中長蛇の列に加わるか、予約のキ
ャンセル待ちをするしかなかった。
 そんななか、佐伯さんご夫妻がキャンセルを見つけ、仙台・
新潟間の高速バスの予約にこぎ着けたのだった。このバスに乗
り遅れたら帰国の目処がたたなくなる。遅れることはできない
のだ。今来た大通りは渋滞だったから、遠回りでも逆側から駅
に行こうとハンドルを切った。その直後に、そういえばこの先
は崖崩れがあって道路が通行止めになっているはず、と誰かが
言ったか、思い出したのか、気がついたときは渋滞にハマって
いて、進むこともバックすることもできなくなっていた。反対
車線の状況もまったく同じでUターンはとうてい無理だった。
みんなどうしても行かねばならないところへ一刻も早く行きた
いという切実な想いが、表情がないはずの車の表面から見える
気がするほどで、静かな殺気すら感じ、とても割り込めない。
頭が真っ白になっていると「ここを入ると裏道に通じるかも」
と美穂さんが脇道を指して言った。メイン通りから外れたら戻
れなくなるかもしれない、だがこうして立ち往生していても埒
があかないと思い、美穂さんの指差す細い路地に入った。

 急な斜面を登りきるとお寺の山門に着いて行き止まりになっ
た。がくんと力が抜けるとエンストして(マニュアル車なので
す)車がぐぐぐっと坂道を這いずり落ちた。危ない、危ない。
ここでまた美穂さんが「あ、道がある」と指差す。山門前の砂
利が敷きつめられた空間の向こうに通り抜けられそうな道がた
しかにある。よーーーし。エンジンをかけ直し思いっきりアク
セルを踏んだ。5人を乗せたバンがブンと勢いよく坂を駆け上
がった。車がやっと通れる曲がりくねった路地をのろのろと進
ませながら、どうかうまくいきますようにと念じていた。民家
のブロック塀がところどころ歪んで崩れ落ちているのを注意深
くよけながら。

 緊張を解くためだろう、美穂さんがしきりに英語でリズさん
に話しかけ、和ませてくれている。佐伯さんは美穂さん達の会
話に頷いたり、旦那様の方と質問に答える感じで会話をしてい
た。不安な状況ではあったけど、四人ともこれしきでは動じな
い雰囲気を放っていた。ちょっと余裕さえ感じた。今私は大物
ばかりを乗せて走っているのだなと内心思っていた。実際、動
揺していたのは私だけだったのだろう。

 しばらくして突然、広瀬川にかかる愛宕大橋わきの大通りが
目の前にあらわれた。やったー!と車内で喝采。安堵の笑顔が
ひろがり、「シーイズ ナイス ドライバー」と声がかかった。
そこからは嘘のように道路が空いていて、なんとか無事仙台駅
のバス乗り場へ着くことができた。

 別れ間際、『関口良雄さんを憶う』が入っている包みを佐伯
さんに差し出した。「佐伯さん、これ関口良雄さんの追悼文集
です。『昔日の客』を出した夏葉社さんから復刻が出たんです。
島田さんが佐伯さんに渡してほしいって、送ってくれました」
「あ、ああ、ありがとう」佐伯さんはちょっと意外そうな表情
をしたけど、すっと鞄に入れた。「今日はほんとうにありがと
う。じゃまたね」と言って、リズさんのスーツケースを引きな
がらバス乗り場へと足早に歩いて行った。四人の後ろ姿を見送
りながら、また会える日が来るのだろうか。爆発した原発につ
いて、佐伯さんはどう感じているのかお聞きすればよかったな
と思った。それでも佐伯さんと美穂さんのお役に立てたこと、
本を手渡すことができた喜びでいっぱいだった。

 あれから一年数ヶ月が経ち、佐伯さんと美穂さんに何度かお
会いできた。行方がわからなかった友人にも佐伯さん宅で再会
できた。『関口良雄さんを憶う』の話はまだしていない。驚く
ことに、リズさんご夫妻がまた日本に行きたいと話していると
いう。日本が、仙台がとても気に入ったと便りがあったそう。
あんな体験をしたのに、やはり大物は違う。夏葉社の島田さん
もときどき仙台に来てくれて、本好きがあっと驚く本を次々と
出版している。本があるから出会い、続いているおつき合いな
のだとつくづく思う。佐伯さんに次に会ったら夏葉社の本の感
想を今度こそ聞いてみたい。


  <夏葉社のコーナーが火星の庭ではじまっています。
  どうぞご来店の際にはぜひご覧ください。>
 

  上林曉傑作随筆集
  『 故郷の本箱』
  2012年7月30日発行
  上林曉 著
  山本善行 撰
  装丁 櫻井 久
  ISBN 978-4-904816-06-6
  ハードカバー/240ページ
  価格 2200円+税


  『近代日本の文学史』
  2012年5月10日発行
  伊藤整 著
  巻末エッセイ 荒川洋治
  装丁 櫻井 久
  ISBN 978-4-904816-05-9
  ソフトカバー/448ページ
  価格 2200円+税


  『さよならのあとで』
  2012年1月25日発行
  ヘンリー・スコット・ホランド 著
  高橋和枝 絵
  装丁 櫻井 久
  ISBN 978-4-904816-04-8
  ハードカバー/120ページ
  価格 1300円+税


  上林曉傑作小説集
  『 星を撒いた街』
  2012年4月28日二刷発行
  上林曉 著
  山本善行 撰
  装丁 櫻井 久
  ISBN 978-4-904816-03-5
  ハードカバー/継ぎ表紙 240ページ
  価格 2200円+税


  『関口良雄さんを憶う』
  2011年2月19日発行
  尾崎一雄 編集
  山高  登 実務責任
  ISBN 978-4-904616-02-8
  ソフトカバー 70ページ
  価格 800円+税


  『 昔日の客 』
  2011年11月25日五刷発行
  関口良雄 著
  装丁 櫻井 久
  ISBN 978-4-904816-01-1
  ハードカバー/布装 232ページ
  価格 2200円+税



   夏葉社 webサイト http://natsuhasha.com/




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