第1回 ふたつの『ユリイカ』
 
 今、新刊書店で買える雑誌『ユリイカ』の発行元は、青土社である。1969年7月創刊号の編集後記を見ると、初代社長の清水康雄が「ユリイカの復刊は私の夢であった」と記している。つまり現在の『ユリイカ』は復刊で、前にもう一つ別の『ユリイカ』があったのだ。その発行元は「書肆ユリイカ」といい、主に1950年代、伊達得夫という優れた編集者兼デザイナーが、たった一人で瀟洒な詩書を生み出していた。
 伊達が手がけた詩誌『ユリイカ』は1956年10月に創刊される。ボードレール、ランボー、中原中也、立原道造などの特集を編んで現代詩に刺激を与えてきたが、通巻第53号の1961年2月号で、伊達の死によって途絶した。
 さて、伊達の名文を収めた『詩人たち』(日本エディタースクール出版部、1971年)の中に、「清水康雄のこと」という一文がある。ある日、伊達の家に見知らぬ青年(清水)が訪ねてきて、詩集の自費出版を依頼する。感心しない詩で、「この作者の精神構造には、どこか大きく欠けたところがある」と伊達は思う。できあがった詩集の表紙は真っ白で真ん中に「詩」と一字印刷されているだけ。口絵の著者の写真は、ハリガネ細工の得体の知れないオブジェを両手で抱く、横向きの七分身像である。詩集完成のお礼にと伊達が連れて行かれた酒場で、清水はダイス(サイコロ)の技を披露する。1、2、3……と次々に清水の意のままに目を出すダイス。最後に5つのダイスをシェーカーに入れ、かけ声とともに転がったダイスは、全部1の目を出していた。そして伊達はこう締めくくる。「かれが精神病院に入ったのは、旬日の後であった。」
 こんなふうに描かれた清水だが、伊達の『ユリイカ』が終刊する間際の何号かは、清水もその編集を手助けしたという。そして伊達の『ユリイカ』終刊後8年半にして、清水は新しい『ユリイカ』をスタートさせたのだった。創刊号でありながら奥付に「復刊第一巻第一号」と記し、表紙にも「創刊号」の下に小さく「復刊第1号」と添えてあるのは、伊達の遺志を継ぐ雑誌という意識が強くあったからである。
 現在、新刊書店に並んでいるその青土社の『ユリイカ』は、個性的でマニアックな特集と、やや縦長の変形版で目を引くが、伊達の『ユリイカ』も、外形こそA5判の規格サイズで薄冊ながら、ほぼ毎号特集を組み、真鍋博や久里洋二らが描く表紙絵、細長い色紙に刷って綴じ込んだ目次など、魅力的な要素が満載の雑誌である。
 ユリイカ本の蒐集に励んできた私は、この7月、思い切って明治古典会七夕古書大入札会で伊達の『ユリイカ』52冊を落札購入した。今、火星の庭に数冊だけ置いてあるが、10月に本格的な展示を行う。また10月7日と9日の講座では、雑誌の中も皆様にご覧いただこうと思っているので、ぜひお越しいただきたい。

※右側の画像はクリックすると大きい画像をご覧いただけます。
 

書肆ユリイカ版  
『ユリイカ』創刊号  
(1956年10月)  
表紙 伊原通夫画  

 

青土社版『ユリイカ』  
創刊号(1969年7月)  
表紙 ガストン・バレ画  

 

清水康(筆名)『詩』  
(1953年)表紙  

 

『詩』口絵  
 

バックナンバー
     2005.09.18  第1回 ふたつの『ユリイカ』
     2005.09.26  第2回 『ユリイカ』の表紙絵
     2005.09.28  第3回 有名画家の展覧会
     2005.10.02  第4回 洋書にしか見えないブックデザイン
     2005.10.05  第5回 継ぎ表紙の妙技
     2005.10.05  第6回 赤と黒
     2005.10.05  第7回 鮮やかな配色
     2005.10.16  第8回 切り絵と切り紙文字
     2005.10.26  第9回 たれつきジャケット
     2005.10.31  第10回 細い帯を斜めに掛ける
     2005.10.31  第11回 覆い帙
     2005.11.01  第12回 和風のブックデザイン
     2005.11.04  第13回 渡辺藤一の世界
     2005.11.04  第14回 増刷と異装
     2005.11.05  第15回 全集と双書のデザイン
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